人見知りと潜在意識にすりこまれてしまった

人生の振り返り

 

「アラフォーでも人生を変えることができる!」からの続きです。

私の父は厳格な父でした。

とっても厳しかったです。

幼稚園か小学校低学年だったか定かではないのですが、

その頃に父にすごく叱られて玄関の外に出された記憶があります。

ぬいぐるみや遊び道具を片付けないで

母に「片づけなさい!」と言われても知らんふりして

だだをこねていたことが原因だったと思いますが、

それを聞いて父が仕事場から飛んできて、

すっごく怒って玄関の外に引きずりだされ、玄関を閉められ、

「謝るまで家に入れない!」とすごく怒鳴られました。

私は泣きじゃくって泣きじゃくって、声を出せない状態で、

それでも一生懸命声を絞りだすように「ごめんなさい、ごめんなさい」と

ひたすら謝りやっと許してもらえて家にいれてもらえました。

 

そして、今年になってその出来事があってから父のことが怖くて怖くて

普通に話しをすることもできなくなったんだと気づきました。

そうなんです。

私は父と普通におしゃべりをすることができない子だったのです。

母や姉がいる時はなんとか大丈夫なのですが、

父と二人きりになると緊張して

何を話していいのかわからない状態だったのです。

でも、私が大人になるにつれ、

父も年をとってからはそれも緩和してきたのですが。

まあ、それはまた後ほど。

 

小学生の私は、そうですね、特に目立つ子でもなく、大人しい子でした。

小さい頃から母に、「この子は人見知りだから」と

言われ続けていたせいもあるのですが、

本当に人見知りで、自分から積極的に話しをしたり、

友達を自分から作ろうなどと思わない、引っ込み思案な子でした。

でも、友達がいないということはなく、自然と友達はできました。

ただ、大人数で遊んだりということは昔から好きではなく、

一人で遊んだり、2~3人の少人数で遊ぶことが多かったです。

 

一人の時は今はあまり好きではないのですが、

絵を書いたり、お人形さんと遊んだり、

冬は家のとなりが坂になっていたので、

一人で黙々とミニスキーやそりで滑って遊んでました。

今思えば、一人で遊んでいても結構楽しかったんだなと思います。

 

多人数で遊ぶときは、おにごっこやかくれんぼ、

その当時流行っていたゴム段といった遊びもしましたね。

家の中にいるのも好きだったけど、外で遊ぶことも多かったように思います。

今は外で遊んでいる子はあまり見ないですけどね。

 

学校で、作文や感想文を書くことが多いですよね?

大嫌いでした。

例えば「自分の夢について」。

私、小さい頃からこれになりたい!とか夢や目標は全くなかったのです。

なので、夢?どうしよう、何もない。

なりたいわけじゃないけど、無難に学校の先生にしよう、と偽って

苦労して作文を書いたように思います。

 

それに読書感想文?本、読むの嫌いだし。読みたい本もない。

結構苦労しました。

そのたびに、姉たちが手伝ってくれました。

親ではなく、姉たちが。

ほんととってもいいお姉ちゃん達です。すっかり甘えてました。

小学校高学年あたりで、ちょっとしたイジメにもあいました。

仲間外れみたいな。

はっきりとは記憶にないのですが、友達を裏切ることをしたんだと思います。

そしたら、仲間に無視されたり、口を聞いてくれなかったり。

私が悪かったんですね。自業自得です。

結構自分に葛藤しながら過ごした時期もありましたね。

楽しいこともあり、辛いこともあり。

小学校は結構長く感じました。

 

それでは今日はこの辺で。フミヨでした。

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